狐とダキニ天

狐とダキニ天


 ダキニ天とは元来インドの下級女神でした。
しかし、殻からきた「胎蔵曼荼羅」などを通じて、人を食う夜叉鬼としてみなされました。
この性質が狐の雑食性の「墓掘り」と重なってきます。
 日本において、ダキニはエンマ天供の一部として扱われ、エンマ天の曼荼羅の中に描かれるようになったのです。
その後、ダキニが天部に昇格し、その頃には夜叉的要素は消え、女形で表されたり、狐で表されたりしました。
 さらにダキニがエンマ天供から独立していき、今度は宇賀弁財天との習合がはじまりました。
弁財天と密接な関係の蛇とも習合し、次のイメージが出来あがってきました。
 弁財天―蛇―狐―ダキニ天
狐も蛇もいずれも、穀物神・農耕神でしたから、より習合が進みました。
そのうちに狐が蛇を凌駕していき、宇賀弁財天にも狐がついてきました。
宇賀弁財天の持ち物の宝珠・剣・鍵が狐にも関係してくるわけです。
玉藻前の話で、白い玉、針(剣)などが出てきたのはこの関係からです。

 弁財天が狐にのり、頭の上に蛇をのせている絵や、頭の上にとぐろを巻いた蛇がのっていてさらにその上に狐をのせている絵が現存します。


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